「赤鬼」スタンカ氏死去南海などで活躍64年日本シリーズで3完封の活躍で日本一に貢献
1960年代に日本のプロ野球で投手として活躍したジョー・スタンカ氏が15日、米国テキサス州の自宅で死去したことが分かった。
87歳だった。
死因は明かされていない。
スタンカ氏は大リーグで1年プレーした後、1960年に南海(現ソフトバンク)に入団。
1メートル96と長身から繰り出される球で打者を圧倒し、64年には26勝を挙げてシーズンMVP、さらに阪神との日本シリーズでも3完封勝利の活躍でチームを日本一に導くとともに、自身もシリーズMVPを獲得。
「赤鬼」の異名を取った。
66年には大洋(現DeNA)に移籍し、同年限りで退団。
大リーグ通算では1年でわずか2試合の登板だったが、7年間在籍した日本球界では外国人投手初の通算100勝と異国の地で輝きを見せた。ニュース配信元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181019-00000158-spnannex-base
「「赤鬼」スタンカ氏死去南海などで活躍64年日本シリーズで3完封の活躍で日本一に貢献」への、ネット民の反応
まとめ
日本シリーズ3完封って今では考えられない。
以上、「赤鬼」スタンカ氏死去南海などで活躍64年日本シリーズで3完封の活躍で日本一に貢献のまとめでした。
Source: Its a Sports World !
「赤鬼」スタンカ氏死去南海などで活躍64年日本シリーズで3完封の活躍で日本一に貢献
人間としても投手としても素晴らしい。日本球界への貢献に何か報いることはできないのだろうか。
既に鬼籍に入られたものと思い込んでいました。ご冥福をお祈りします。昭和の良き時代を彩った名プレーヤーの訃報に、時の移ろいを感じます。自分も来年の桜、見ることが出来るのだろうか?
あの頃の南海強かったシーズン99勝なんて
1965年のオフに息子さんがガス湯沸かし器の不完全燃焼事故で亡くなられた時、一時日本球界を去っていた。 この65年オフは鶴岡一人さんから監督を引き継いだ蔭山和夫さんが就任直後に急逝、関係者の不幸が続いた。後から思えば、南海の凋落の前兆を示していたのだろうか? 1988年版の南海のファンブックに球団創立50周年のお祝いメッセージを寄せていた。あれからでも既に30年。 スタンカさんのご冥福をお祈りします。
日本シリーズで、3完封勝利て…凄い時代だったんだな……
円城寺 あれがボールか 秋の空…
月曜日の中居くんの番組で取り上げてくれるかな。現役時代を見たことはないけど、ノムさんや大沢親分と一緒にプレーしていたんですね。
ご冥福をお祈り致します。
愛称はスカタンやったが、実力はえぐかった。
南海ホークス福岡ダイエーホークス福岡ソフトバンクホークスホークスは不滅です。
「あれは、ど真ん中だよ」って親分も言ってたよ
この当時の日本シリーズのフイルムを「外国人列伝」から拝見しましたが、このときの世間体は五輪一色で、甲子園球場はがらんどうと、今とは隔世の感のある様相でしたね。今の時代だったらトラファンが「五輪なんぼや阪神や!」と五輪を嫉妬するようなシュプレヒコールとともに熱狂トラファンがスタンドを陣取っていたと思う。のどかな時代のひとコマだった。
自分は彼の現役時代は知らないが、ノムさんと共に南海の黄金期を飾りながら、ご子息を事故で継失う悲劇に見舞われた、悲劇の投手と聞きました。謹んで冥福を祈ります。
外国人投手では、スタンカとバッキーが100勝した。いずれも長いとは言えない在籍年数で。メッセンジャーが来年も契約が続けば更新されるだろうが、この二人が外国人投手のパイオニアであることには変わりがない。
1年に26勝とはすごい。投手の「働き方改革」が進んだ今となっては、まず達成できない勝利数でしょう。
園城寺 あれがボールが 秋の空1961年の巨人との日本シリーズ第4戦、結果サヨナラ負けに繋がる宮本敏雄への際どい球のボール判定、あれは野村克也が人生で一番怒ったらしい判定で、その後にサヨナラヒットを打たれたスタンカが園城寺球審を体当たりで飛ばす、この話を思い浮かべる人が多いだろうな。野村がこの件から、巨人ひいきの判定する、所謂ジャンパイアの存在を主張し始めたのは有名。最初の句は、ある日本人商社マンがスタンカの無念を慮って贈ってくれたものだそうだ。
大好きな投手でした。杉浦忠も。この時代の南海ホークスは一番良かったです。南海ホークスがなくなって野球からも遠ざかりました。
あれがボールか円乗寺詠み人しらず
元祖日本向きの外国人投手だったんだね~。
南海電鉄の職員だった父がスタルヒンにも劣らないって言ってたどちらも知らないが黎明期を支えた大投手御冥福を
スタンカといえば日本シリーズでの巨人戦での乱闘事件を思い出す。
この人が現役の頃はぜんぜんしらんけど打たれたらまちがいなくスカタンていわれてたんやろな
ワイの世代やと、赤鬼といえばマニエルを思い出す。
3試合連続抑えで登場!とかならともかく完封って。1人で最後まで投げて、それが3試合も。もしかしたら3日連続かも。しかも無失点。そんなことあり得るの・・・すごい
ミスタースタンカの死去南海ホークスのファンの私としては寂しい限りです鶴岡監督の お前は目は青いが心は日本人や!のスタンカ氏安らかにおやすみください
この時代は、メジャーリーグと日本のプロ野球の実力差は「天と地」くらいの差があったのだろう。しかし、そのような状況下においても、日本のプロ野球において、ひときわ輝いたことはスタンかさんにとって、必ずや一生の宝物になったことでしょう!
スタンカ投手の大ファンでした!ご冥福をお祈りいたします。彼は日本プロ野球外国人投手で最高の選手でした!これからも偉大なスタンカ投手みたいな方は出て来ないでしょう!
ソフトバンクの選手全員喪章つけてプレーしてほしいわ。
スタンカさんと言えば、「円城寺 あれがボールか 秋の空」を思い出す。ノムさん寂しいやろうな。心からご冥福をお祈り申し上げます。
この頃の南海は強かった。100万ドルの内野陣と言われ、ノックを見てても上手いと思った。
スタンカと言えば、晩年の大洋時代に、プレート前から投げていて審判も打者も、気付かなかったと言う逸話が印象に残っていますね。投げる前に、イチイチ、土をプレートに掛けるので、不可解には思っていたらしいけどね。
「円城寺、あれがボールか秋の空」から57年。我が愛する阪神相手に6、7戦連続完封から54年ですか、、勿論リアルでは知りませんが、間違いなくホークス史上最強の外国人投手ですね。 合掌
まじか。阪神との日本シリーズの連投は凄かったな。客もガラガラの中ようやったわ。
今頃は天国で早世した息子さんと再会していると思います。お疲れ様でした。
昭和がまた遠なるわ
日本シリーズでこれでゲームセットと思えた一投をボールと判定された挙句にその打者に逆転サヨナラヒットを打たれた。そのときホームへの返球をバックアップしようとして球審に体当たりして倒した。当時はそれが大ニュースになったのに何故スポニチは紹介しなかったんでしょうか。ウィキをあたればすぐわかるのに。
一つの時代が終わったわ
昭和39年の日本シリーズ第6戦の後に、鶴岡監督から「明日も行けるか?」と聞かれたから「大丈夫。」と答えてリリーフだと思ってたら、翌日に球場に行ったら先発だった。それでも完封(笑)
日本シリーズ3完封って今では考えられない。